陰陽の救世主

第1章 学園怪事件
9.招かれざる客

 沙紀は遠くから近づいてくる相手に顔を向けた。
 反射的に下ろしていた腰を上げると、その人物に近づいた。
「……! 何してるのよ、寝てなきゃ」
 その人物は保健室で寝ているはずの瑞希だった。沙希は勢い良く瑞希の腕を掴む。しかし、瑞希はそれを強く追い払うように沙希の手から逃れる。絶対にありえない行為に、沙希は驚き、目を大きく見開いた。
「大丈夫だよ、ほら、この通り」
 両手を広げ、くるくると回る瑞希を見て、沙紀は目を潜めた。
 沙希からの心配をあたかも無視したように、瑞希はうっすらと微笑み返した。
 それを受け取ると、何かを感じたのか、瑞希の腕を取りどこかの教室に隠れた。
 息を潜め、人間ではない、何者かの気配を、沙希はドア越しからじっと感じ取る。
「心配しなくても、良いんじゃない?」
 後ろにいる瑞希の、瑞希とは思えない言葉に、沙希は勢い良く振り返る。
 其処にはうっすらと冷たい笑みを浮かべた瑞希の姿があった。沙希はその笑みにぞくりと背筋を凍らせる。
「フフフ……」
 喉からの笑い声。彼女とは思えない冷たさを秘めた声。
「……誰。あなたじゃない事は気づいてるわ」
 彼女は暗闇から沙紀の目をじっと見つめる。其れを沙紀は感じ取っていた。
 窓から木々が揺れているのを見る。
 沙紀は目線を相手へ向けた。その瞬間、沙紀は異様な気配に気が付く。彼女はニヤリと口角を上げる。その瞬間に沙紀は彼女に勢いをつけてぶつかって行った。
 しかし彼女の姿は次第に薄れていき、跡形もなく消え去ってしまった。そしてその後何か金属が落ちる音が聞こえた。暗くてよく分からない場所に目を細めながらその感触を確かめようとしたとき、其れは粉々になって消えてしまった。
「……」
 廊下に目を向ける。そしてゆっくりとケータイを手に取り、有川に連絡を入れる。
「えぇ、えぇ……分かってる。私たちの中に、招かれざる客がいるわ。一度皆を一部屋に集めたほうがいいと思うわ」

* *

 何も連絡ないままに保健室に集まった。瑞希を除いて。
 沙紀は簡単に説明をすると、瑞希の眠るベッドへ移動した。もしかしたら彼女に何かあるのではと咄嗟の判断をしたのだ。
 シンとした室内に、彼らは時折ため息を漏らす。
「しかし、このまま何もしないっていうわけにもいかないよな……」
「かといって、下手に動くと、身の危険が知れねぇし」
 賢一と大祐が顔を確かめながら意見の交換をする。其れを恵美子は聞きながら、指輪をクルクルと回転させる。
 大祐は恵美子が見つけ出していた。賢一と同様、倒れていたらしく、どうして自分が倒れていたのかの記憶は無かった。
「この指輪がどこまで役に立つのか、実のところ教えて欲しいんだけどな。照美ちゃん?」
 有川はその声に唾を飲み込んだ。異様ともいえる静けさが、恐怖を更に増していっている。
「最初に説明した筈よ? 攻撃と保護」
「そういう意味じゃなくてさ、どれくらいのレベルっていうことなんだけど……」
「コントロール次第よ」と困った顔で言う。
 それに尚も納得できない恵美子。
「まるで俺たちに何も言いたくないみたいだな」
 大祐が言ってきた。その言葉に有川の目が大きく見開かれる。
「何か疑問でも?」
「大いに。全てが疑問だらけだぜ?」
 そして大祐は疑問の数々を上げていった。
 いきなりの出来事のはずが、既に指輪を準備している事。何が起きるかを予感していたように、テレパシーのようなものを使って、瑞希たちを誘導した事。自分も含め、かなり平然としている事。そして誰も――
「今のこの現状を信じきっている。こんな状況でも信じないやつは現れるだろ。誰かが何かを仕掛けたと思えば、探るやつは出てくる」
「……照美ちゃんだけじゃないよ」
 ふと恵美子が発した一言は、大祐の耳にも届き、え? と顔を向ける。
「瑞希も、沙紀も、照美ちゃんも、ううん。きっと全員がおかしいよ。私は良くわかんないけど、誰もこの現状に何も言わないなんておかしいよ。慣れたとか言うかもしれないけどさ、私はそれでも理解できない。
 瑞希なんて科学の実験でいつもワクワクしてて、何か変化が起きるたびに不思議そうな目で其れを見てて。
 そんな彼女が今の現状を驚きもないままに受け止めてるなんて信じがた――」
「演技なのかもね」
 奈菜の左に瑞希が寝ているベッドがあり、その方向に目を細めて向けて薄っすらと微笑む。とても頼りない声は、大きく室内に響いた。
「自分の……注目を集めるための」
「瑞希はそんなんじゃない! 違う!」
「あなたどっちなの? 守ったり攻めたり。苛々するわ」
「そういう意味じゃない。注目じゃなくて……」
「へぇ〜。やっぱりそう言う割にはちゃんと保護するのね。でもどうかしら。自分だけああやって倒れて守られて。女王様じゃあるまいし。仮のこの中の誰かが倒れて、同じように行動する人がいるかしら」
 恵美子は奈菜の言葉一つ一つに怒りを増していく。右手に握られたこぶしが熱くなるのを、自身は実感している。
「あぁ〜っ! だとしたら簡単よぉ! 全て彼女が何らかの行為をして起こったこと。其れが自分に跳ね返ってきていると思えば――」
「違う! 瑞希はそんなことしない!」
「だったら貴方がやったのね」
 奈菜は瞬時に恵美子へと睨んだ。
「え、なにそれ……」
「瑞希が賢一君を取ろうとして、其れが嫉妬になって、彼女を追いやった。如何? これなら……」
 突っかかろうとした恵美子を、有川が力ずくで押さえ込む。大祐は奈菜を睨みつけたまま。そして賢一は恵美子の体を正面から抑え、抱きかかえるようにして抑えた。しかし、恵美子の目線は奈菜から一時も離れないでいる。
「そうやって言い張っていられるのも、今のうちよ」
 奈菜は微笑んで一人、保健室を退室した。恵美子は崩れるようにその場に座り込んだ。次第に涙が溢れてくる。傍で有川が何度も何度も恵美子の頭を優しく撫でていた。
体中の感覚が麻痺し、太い耳鳴りが響く。流れる涙が床に滴るのを見ると、恵美子は力ずくで涙を止めた。
「恵美子?」
「ぁたし、瑞希を憎んでたかもしれない」
 室内に静けさが益した。
「あの子の事、あんな風に言ったけど、当ってたからそういう反抗心が芽生えたんだと思う。勿論瑞希が賢一を取ろうなんてこと考えないって分かってる。でも、どこかで瑞希に対して、憎しみが芽生えてたって思ってる。瑞希は誰にでも笑顔だから……」

* *

 あの場に居辛くなり、賢一と大祐は指輪の力を頼りに、違う教室へと移動した。
 其処は家庭科室で、冷蔵庫を開けると、中にオレンジジュースが入っていた。賢一がラベルを確かめ、今年一杯まで持つことが分かると、グラスに注ぎ、大祐にも渡した。
「やっぱり電機が壊れてるって言うわけじゃないみたいだな」
「そのようだな。じゃなきゃ“これ”も温いジュースだ」
 喉が渇いているという事でもなかったが、ちゃんとしたものを補給していなかったため、1杯のお代わりをした2人。
「実際のところは如何なんだ?」
「……何が?」
「だから……藍川、だよ」
 すると賢一は顔を俯かせ、息を吐いた。床にコップを置くと、右手で頭を掻く。
「別になんとも……」
「ここまでして嘘を吐く必要があるのかよ……」
「……まぁ、確かに。でも、此処で言ったら、ますます諦めが悪くなるから」
 その瞬間、大祐の心はざわめいた。意中の相手が其処にいなくとも、やはり自分には出来ない、意思表示。悔しさと憧れが入り混じった気持ち。
 じっと黙り込んでしまった彼に、賢一は突然笑い出す。
「な、何だよ……」
「悩む必要ねぇって。素直に瑞希にぶつかって行けよ。あいつさ、結構悩むほうだから、そういうときに手を差し伸べてやったらいい」
「そうじゃねぇよ……お前が羨ましい。そして悔しい」
 立ち上がり、付近を少し歩く。賢一に顔を、素性を見られないよう、頭を落とした。
「一つ……アドバイスしてやる。小林奈菜から離れることだ」
 思いがけない言葉に、大祐は賢一に顔を向ける。すると、凛々しい顔をした賢一が大祐に微笑みかける。
 賢一はジュースを飲み終えると、蛇口を捻りコップを洗う。近くの布巾で水を拭い、食器乾燥機へコップを入れた。
「瑞希はお前と奈菜との仲に不安がっているんだよ。奈菜がお前を好きである事を、瑞希は知ってる。それで、お前の心が奈菜に向かないか心配してるんだ。でもさ、ご存知の通り。瑞希もお前と似た習性があって、嫌われることに恐れを抱いている」
「き、嫌うって……」
「あいつ、ああ見えても幼い頃から苛め受けてたからな。怖いんだよ、自分が何かをすることで周りの、自分への反応や変化が」
「……」
 大祐はそれっきり黙りこんでしまった。賢一は何度も色々と言いかけては、鼻を啜った。
「お前は瑞希がした事だって思ってないんだろ?」
「当たり前だろ……」
「だったら、最後まで絶対に信じきれよ? 何があっても手放すな」
 しかし、大祐は険しい顔のまま何も言うことはなかった。
 信じていないわけではない。むしろ、信じたい。
 しかし、その一方で奈菜の言った事が頭から離れないでいる。“注目を集めるため”
 前から知っているわけではない。この高校に入学して、会って、徐々に知りたいと感じていった。本来の性格なんて、全然知らない。
 信じられないわけではない。ただ、奈菜の言ったことも、あり得るのかもしれないと感じたのだ。
 でも、どうやって?
「そうだよな」
 ふと賢一が言葉を漏らした。大祐はその際に驚き、賢一の顔をまじまじと見た。自分が呟いてもおかしくないタイミングだったのだ。
「小林の言い分も分からないでもないが、こんな怪奇とも言える現象をどうやって起こせるか、なんだよな。俺ら、普通の人間なんだぜ?」
 普通の人間。
 それは十分に分かりきった事。しかし……
「あのさ、幽霊が起こしたにしては、おかしいだろ?」
「は?」と目をぱちくりと大きく見開かせる賢一。「まぁ、おかしいといえば、おかしいが」と言葉を少々濁らせる。
「幽霊だとしたら、はっきりと違いが出てくる」
「……確かに」
 賢一は躊躇いながら、大祐の話を聞く。
「だったら、“人間じゃない何か”が、起こした、とは考えられないか?」
 固まっていた賢一が、ふと緊張が解れたかのように、小さく動いた。
「お前、ウチュージンとか言いたいのか?」と相手を馬鹿にしたようにからかい半分で問いただす。
「そう、認めたほうが、楽になるかなと思ってさ」
 大祐は立ち上がり、闇の廊下に向かって歩きだした。

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